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      <title>面白雑学帖</title>
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      <description>面白いことはいっぱいある</description>
      <language>ja</language>
      <copyright>Copyright 2012</copyright>
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         <title>社会性の奥に存在する問題　4</title>
         <description>
アサーティブという言葉は、自分の主義や主張をはっきり言うだけでなく相手の言い分も聞き、きちんと議論できることを指しています。


・・・したがって、アサーティブであるためには、相手の言い分を聞く能力と、自分の意見や感情を正しく把握していることが必要とされます。


ちなみに、アサーティブネスの心理学的検査の項目の一例を示してみましょう。


ここでは自分を表現することが強調されていますが、直後に「自分のことをまず考えますが、他者をも配慮するやり方」と、アサーティブネスを説明しています。


また、アサーション・トレーニング(自己主張訓練)といわれるものは、スキルトレーニングの一種ですが、一方的に自己主張して相手を説得する技法を体験的に学ぶのではありません。


他者と自己のそれまで気づかなかった側面に対する理解を深めたうえで、相互交流を図る技法を学ぶのです。


同じ訓練でもディベートが、どちらかというと、多少の誰弁を弄しても相手を打ち負かすというイメージがあるのと対照的です。


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         <pubDate>Sun, 06 May 2012 18:59:50 +0900</pubDate>
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         <title>社会性の奥に存在する問題　3</title>
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日本では、相手の言い分を認めて譲ることによって仲良くすることが強調されます。


しかし、真の協調的関係とは「相手の言い分をよく聞いて尊重すると同時に、自分の考えを伝え生かし、調和的結果を生むこと」なのではないでしょうか。


アサーティブという言葉があります。


これは時には「自己主張的」と訳されることもありますが、現在ではそのまま「アサーティブ」と使われることが多いです。


日本でも、「あの人はアサーティブだ」というような表現も近年使われ始めていますね。


日本語の自己主張という言葉は、どちらかというと否定的なニュアンスを持っています。


「あの人は自己主張が強い」とか、「自己主張ばかりしてはいけない」というがごとくです。

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         <pubDate>Sat, 21 Apr 2012 18:59:11 +0900</pubDate>
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         <title>占いを活用して精神レベルを上げよう</title>
         <description><![CDATA[
精神レベルを上げるためには、基本的に以下のような方法があります。

・日頃から、うれしい、楽しい、幸せ、というような、明るい言葉を使う。

・不平、不満、人の悪口などを言わない。

・自分の今の環境のいろいろなことに感謝する、ありがたいなあと思う。

・毎日明るい気持ちで過ごす。

・たくさん笑う。

・今、目の前にあることを一生懸命やる。

・どんなことでも楽しむ。

・身の回りをきれいにする。

・自分の感覚に素直になる。

などなど。

基本的に自分の気持ちがすがすがしくなること、うれしくなることはみんな精神レベルを上げることにつながります。

身の回りや部屋がきれいに片付いていれば誰でもいい気分になるし、たくさん笑って憂欝になる人はいないはずです。

それにより気付くようになるために、占ってもらうために<a href="http://www.uranai-king.com" target="_blank">電話占いのランキング</a>チェックしておきましょう。
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         <pubDate>Wed, 14 Mar 2012 12:53:25 +0900</pubDate>
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         <title>ビデオ撮影の浸透</title>
         <description><![CDATA[これだけビデオ撮影が生活の中に浸透してくると、そのうちに子どもが、親の遺産として先祖代々から伝わる「○○家秘宝ビデオ」を譲り受ける時代がくるかもしれません。


こうした記録に残すといった目的以外にも、ビデオ撮影の場は広がっています。


その一っ、ビデオレターは、文字どおり手紙がわりに自分のメッセージをビデオに収録して、相手に送るものです。


基本的には<a href="http://www.rental-station.jp/" target="_blank">ビデオカメラ レンタル</a>の前に立ってしゃべるものなので、カメラを固定すればひとりでも撮影できます。
]]></description>
         <link>http://virtualdevelopment.net/2012/03/post_29.html</link>
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         <pubDate>Fri, 09 Mar 2012 17:07:11 +0900</pubDate>
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         <title>社会性の奥に存在する問題　2</title>
         <description>
心理臨床の現場では、前記のような能力の問題を持っていなくても、社会生活の中で、友人と良い関係を持てない子どもたちを見かけます。


ほんの少し自分の思い通りにならないことがあるとパニックになり、泣き出したり、自傷行為を起こしたり・・・


友だちにつかみかかったりする子どもたちです。


・・・以下、主としてこのような子どもたちを念頭に置きながら、社会性について考えてみようと思います。


まずは、協調性とアサーティブネスについて述べたいと思います。


一般に社会性という言葉からイメージされるのは、他人と協調的関係を持つことができるということではないでしょうか。


とくに学校教育においては「手のかかる子」を「社会性がない」とか「協調的でない」と、評価することが多いように思えます。


そして、日本では、協調的関係というとき、ともすると他人の言うことをよく聞くということが強調されがちです。

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         <pubDate>Sat, 03 Mar 2012 18:58:17 +0900</pubDate>
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         <title>社会性の奥に存在する問題</title>
         <description>
単に社会経験が乏しいために、社会性が育っていない場合もあります。


・・・たとえば、幼稚園や保育所に入る前に友だちと遊んだり、家族以外の人と接触したりする経験の乏しい子どもは、入った後、しばらくは友だちとうまく遊べないのは当然です。


他人の心をつかんだり、それに対処したりする力がついていないのです。


この場合には、家庭や幼稚園・保育所のスタッフが子どもを理解し育む力を持っていれば、特別の配慮をしなくても、集団生活においてしだいに友人との関係を築いていきます。


通常の発達です。


そして性格、関係の問題。


性格や関係・環境の問題として理解すべき場合も存在します。


本来の能力には問題がなくても、関係の中で他人と良い関係が持てなくなってしまう場合です。

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         <pubDate>Thu, 02 Feb 2012 18:57:45 +0900</pubDate>
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         <title>社会性とは何か　2</title>
         <description>
友だちと良い関係を結ぶことができないのは問題の一つのあらわれなのです。


・・・したがって、心理臨床家は、親が「社会性」という言葉を使うとき、その訴えの先に何があるのかと関心を持っています。


さて、親が社会性がないと訴えてくる場合、2種類の問題が予想されます。


1つは発達の遅れであり、いま1つは性格や関係の問題です。


まずは発達の遅れについて。


子どもの発達が全面的に遅れている場合、さまざまな要因から社会性の遅れが生じます。


発話能力にしろ、理解能力にしろ、主として言語能力の遅れとして理解されることが多いですが、その前提になるさまざまな認知的能力の遅れを、想定しなければならないことも多いです。


その場合には、社会性を育てるためには、前提となる各種の能力の向上を図る必要があります。


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         <pubDate>Sun, 08 Jan 2012 18:56:55 +0900</pubDate>
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         <title>金属とロートアイアン</title>
         <description><![CDATA[
たくさん金属元素の種類があるけれども、実はそのまた大部分はわたしたちが見たこともないものです。


化学者の一人である私にとっても、かなりの数の金属元素はやっと元素記号を知っている程度に縁が薄いですね。


<a href="http://www.naldic.co.jp/" target="_blank">ロートアイアン</a>などが身近にある今日のわたしたちの世界では、鉄という金属はあまりにも普通の材料ですが・・・


わたしたちの実生活上に縁の深い金属は、むしろ限られた少数だといえます。


鉄以外に近代生活に重要な金属材料はアルミニウムですが・・・


アルミニウムには固有の特性があり、必要欠くべからざるものであっても、産業の各方面における重要性からいっても、また日常生活に使われる利用度においても、鉄材料に比べればその重要度はいちじるしく軽いというべきです。


・・・まして、さらに特殊な用途に使われる稀有金属、たとえば、チタン・タンタルの類は、将来は知らず、現在のところ、その重要度は比較にならないくらい低いのです。

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         <link>http://virtualdevelopment.net/2011/12/post_26.html</link>
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         <pubDate>Fri, 02 Dec 2011 16:30:23 +0900</pubDate>
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            <item>
         <title>社会性とは何か</title>
         <description>
さて、前回、社会性という言葉を聞くと、いつしか、少し構えるようなステレオタイプ的な姿勢をとるようになっている自分に気づくようになったと書きました。


これはなぜでしょうか？


さまざまな事例が思い起こされます。


子どもの相談の中で、「社会性がなくて困ります」という言葉はしばしば聞かれます。


その多くの場合、社会性は重要な問題ではありません。


確かに、「友だちとうまく遊べない」とか「すぐ友だちに手を上げる」とか「引っ込み思案で困る」という訴えがあります。


しかし、こういった訴えは相談の入り口です。


・・・そして、相談が進むにつれて、もっと根本的な内容が展開されることが多いのです。


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         <pubDate>Thu, 01 Dec 2011 18:56:05 +0900</pubDate>
      </item>
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         <title>孤独な人がたくましくなるために　2</title>
         <description>
孤独な人は、安易に孤独から抜け出そうとするよりも、一人でいることを楽しむ工夫をする必要があるのかもしれません。


社会性はただ単に「他人と仲良くすること」ではなく・・・


自分と他人とが相互に生かし合いながら生活する力をさすと考える。


それが「たくましい社会性」であり、そのような意味での社会性が育つかどうかは、社会的経験を積み重ねることによる学習の効果も多いですが・・・


より基本的には、子どもたちの自己表現を周囲の大人たちがどのように受け止めるかにかかっています。


したがって、社会性を育てるためには、その受け止め方の質をどう高めるかが問われます。


社会性が育つかどうかは、子どもと大人との関係の問題であり、健康なコミュニケーションが保障されるか否かの問題なのです。


社会性という言葉を聞くと、いつしか、少し構えるようなステレオタイプ的な姿勢をとるようになっている自分に気づくようになりました。

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         <pubDate>Wed, 02 Nov 2011 18:55:01 +0900</pubDate>
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         <title>孤独な人がたくましくなるために</title>
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今のところ、社会的スキルのまずさが孤独感の原因なのか、それとも結果なのかは明確ではありません。


・・・しかし、社会的スキルの観点から孤独感を見る立場からすると、因果関係を明確にすることは必ずしも重要ではありません。


重要なことは、社会的スキルの不足やまずさが、孤独感を強めているという事実です。


そして、社会的スキルという観点で孤独感をみることによって、孤独な人の認知、行動的な特徴が包括的に理解でき・・・


さらに、トレーニングという、慢性的な孤独感を低める有効な手段を手にいれることができる点です。


ただし、孤独な人が社会的スキルの本格的なトレーニングを受けるのは、わが国の臨床心理学や精神医学の実践状況では、容易なことではありません。


そこで、孤独な人は、自分一人で社会的スキルのトレーニングをしなければならないかもしれません。


このような要望に答えようという動きもあります。


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         <pubDate>Wed, 12 Oct 2011 18:54:07 +0900</pubDate>
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         <title>猫を連れてきたのはアダム？イヴ？</title>
         <description><![CDATA[
フランス中世紀文学のすぐれた遺物といわれる『狐物語』の発端に、アダムとイヴが、神さまからもらったハシバミの木の枝で海水をかきまわして、いろいろの生物をこの世へ引き出す話があります。


アダムが海水をかきまわすたびに彼の子孫のために役に立つ動物・・・


牝牛や、牝山羊や、馬や、難や、七面鳥や、家鴨その他が出てきたのに対して、イヴが海水をかきまわすたびに出てきたのは、狼や、狐など狡智と悪煉で世を毒する動物ばかりであったといいます。


そして猫に関しては・・・


「いったい猫はアダムが引き出したのか、イヴが引き出したのかわからない。


猫は人類にとって善き動物か、人によって意見がちがうからである。


とにかくアダムの引き出す動物はみな善い動物だったのに、イヴの引き出す動物はみな悪い動物だった」


・・・と言っています。


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]]></description>
         <link>http://virtualdevelopment.net/2011/09/post_17.html</link>
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         <pubDate>Tue, 27 Sep 2011 12:40:37 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>裏金が作られているワケ　６</title>
         <description>これは別に悪いことではないし、また非常に簡単なことなので、「よしきた」ということになる。

「ただし、先生が当社の教科書を採択してくれた御礼を兼ねて、この地区の副読本の総売り上げをX社の方から送らせます。」

問題集だろうが、スケッチブックだろうが、作文帳、原稿用紙にいたるまで、すべての教材が、教科書が決まると同時に自動的に決まってしまうのである。

制服にしたって、靴だって、カバンだって、絵の具やノートにいたるまで、また最近よくみかけるトレパン通学だって、すべて教科書会社そのものか、子会社か、何らか息のかかった会社の製品なのだ。



すごいなぁ。こんなこと、ふつうの人はなかなかこのことに気がつくことなんてないのですがね。</description>
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         <pubDate>Thu, 22 Sep 2011 12:21:01 +0900</pubDate>
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            <item>
         <title>裏金が作られているワケ　５</title>
         <description>ただ当社はさし上げたんだからお金はいりませんと……。

このリベートは形に表われないわけで、教科書採択をめぐっての金銭の授受は、まったくないという形をつくってしまうのである。

もっと影響力のある校長などだと、その地区の分は全部さしあげます、ということになる。

また、若干形を変えた形態としては、次のようにする。

たとえば、教科書会社のA社の子会社X社が、副読本、副教材を出しているとする。

副読本・副教材は、A社準拠の教材ということになるから、「先生、A社を採った機会に、X社の副読本をこの地域全域で使わせてほしいんですが。」ともちかけるのである。



なんというか、巧妙な手口ですね。。</description>
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         <pubDate>Mon, 22 Aug 2011 12:20:41 +0900</pubDate>
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         <title>裏金が作られているワケ　４</title>
         <description>しかしこれは明らかに国民感情もしくは社会通念を無視している。

こんなバカなことが横行しているのだ。

そのうえ、同じ告発によると、学校で使用するすべての教材が不正に決められている、というのだから、たまったものではない。

その部分―たとえば、教科書に不即の関係でついてくる副読本というのがある。

これをうまく利用するのである。

副読本は子会社に作らせ、「もしうちの教科書を採択してくれれば、副読本は、先生の学校の人数分さしあげます。」

ともちかけるのである。

つまり、子供からは副読本の料金を徴収するのは御自由です。



なんというか、こういうのを子どもが知ってしまったらどうなるんだろう？</description>
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         <pubDate>Fri, 22 Jul 2011 12:20:19 +0900</pubDate>
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