ハナショウブの品種1
ハナショウブはこれらの中の新参者であった。
観賞上明らかに文献に現われたのは五〇〇年前の『仙伝抄』で、生花に使われた。
元禄期の園芸書には一〇品種以内の品種が区別されている。
ところが宝暦五(一七五五)年の『絵本野山草』には「数百種あり書きつくさず」という状況になってきた。
このようにハナショウブの品種改良が急激に進行し、多数品種ができあがってきたのは、江戸の旗本、松平左金吾(菖翁)のおかげとされている。
一人のハナショウブのマニアが一生かけてやった仕事が、いまのハナショウブを生み出したのである。
ハナショウブはその後、江戸ハナショウブ、伊勢ハナショウブ、肥後ハナショウブの三大群ができ、欧米にも伝えられ、世界の花の一つになったわけである。
一人のマニアの功績がペンタキープだけでなくこのような大きな結果を生んだことは、いわば花の文化の世界ならばこその出来事ともいえよう。